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斉吉気仙沼便り:サダさんの箪笥

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2014年10月06日斉吉気仙沼便り

サダさんの箪笥

明治41年 サダは、仙台から気仙沼の斉吉の初代吉之進に嫁ぎました
私が生まれた2年後に吉之進は他界し、その何年も前にサダは亡くなっていますから
会ったことはないので
祖父や父 叔母から聞いた話です。

サダの父は気仙沼の斉藤家から仙台で米屋を営む吉田家に
養子に入った人で、自分の故郷へ娘を嫁がせました
初代 吉之進は大勢の兄弟の中に生まれ、はじめは長屋のようなところで所帯を持ちました。
当時は海軍の軍人でしたので、横須賀へ新婚旅行に出かけたとか。
祖父はサダの思い出を(祖父からすると母親)とても大切そうに、孫たちに話して聞かせました。
吉之進は貧しくて小学校しか出ていませんでしたが裕福に育ち女学校を出ていたサダはちょっとハイカラで着物にヨーロッパレースの黒い日傘をさして歩いたこと
子供のころ、お正月に学校の先生に年始の挨拶に行くように言われ、着物の懐に茶事用の懐紙を持たせられ、作法を教えてもらったこと
戦争や病気で息子を二人も亡くした後、体調を崩して休みがちだったサダを吉之進は、お弁当を持ってよく二人で墓参に出かけたこと
一人生き残った息子の祖父は、母をとても大事にしたし 自慢だったのだと思います。
私の知る祖父は懐中時計など大事なものは サダが使った箪笥にしまっておりました
サダが亡くなってしばらくしてから斉吉に嫁いだ孫嫁の貞子(さだこ 現在のばっぱ)を吉之進は同じ名前だ とたいそう喜び さだ さだと呼んだそうです。
サダの嫁入り道具の仙台箪笥は3年前の津波にあい、すっかり泥だらけになりましたが形に狂いなく、私たちの手元に残りましたので、先日、きれいに修理していただき、本店に飾りました。
長く使い続けている物の存在は、先人が、それぞれの時代を一生懸命生きてきた声のように思え、そこにあるだけで励まされるように感じます

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