2020年9月7日|こどもの頃から葡萄畑を

百貨店での宮城県物産展では

斉吉のお店がいつも田所食品さんと背中合わせになりました。

大樹社長さんが、お客様に

その年の葡萄の様子をお伝えしています。今年は酸っぱいとか、甘いとか 渋みはどうだとか。田所食品さんの看板商品である「マルタのきぶどう」は果汁100%で、そのほかに何も入りませんから、収穫した葡萄の原料によるからです。

しかも小さいロットになればなるほど、その時々の味です。

それをいつでもお客様に丁寧にお伝えしている様子を拝見していました。

丁寧に作られているワインと同じです。

「物産展はお客様に年に一度お会いできる機会をいただいている。

その時にたくさん買っていただかなくても良いのです。」

と大樹社長さんは仰っていました。

きぶどうは東北伝承の山葡萄です。葡萄の実が小さいためそれを絞った原液は希少で、古くから健康食品とされてきました。

宮城県亘理地方、明治35年に一人の農家が砂地で水はけのよいこの地に一本のぶどうの木を植えたところから始まり、大正時代から山葡萄の果汁を絞り、日本の葡萄ジュースの始まりと言われているそうです。

田所食品さんは大正7年から一貫して、この山葡萄を栽培し果汁を絞ってこられました。

太平洋戦争の戦時下でも国は葡萄を絞るときに出る酒石が必要だったため、産業は守られました。

その後、一時期果汁20%のジュースを作った時代があったそうですが、ファンタやコーラに押され

町の葡萄産業自体が衰退して行く中、田所食品さんは全面100%に切り替え今日に至ります。

大樹社長さんは小学生のころからご自分が葡萄畑を継ぎたいとご両親にも、ご兄弟にも宣言して葡萄畑をするためにすべてを選んできたとお聞きして敬服いたしました。

好きを仕事になさっているのです。

「マルタのきぶどう」 が美味しくて、たくさんのお客様が安心して田所さんのお客様で

あり続けています。

そういう訳で私たちは、田所食品さんの客でもありましたがいよいよシャインマスカットのぶどう狩りが始まると聞いて山元町の田所食品さんの畑へ伺いました。

 

以前の工場は海から500mくらいのところにあった為、先の震災ですべてが流されてしまうことになりました。

その翌年2012年、国の先端産業プロジェクトでシャインマスカットの栽培研究を田所食品さんが受けることになったそうです。

もともと葡萄栽培に適していた土地に、長い間の栽培技術の集積があったこととに加え震災からの復興のためということも理由のひとつでした。

当時シャインマスカットは未知のものだったといいます。

 

その後、田所食品さんでの栽培技術研究が進み最先端の栽培技術と、代々受け継がれてきた技術の融合で、「ドメーヌ・マルタ」のシャインマスカットが生まれています。

(果実のために葉の枚数も揃えます。)

(手間のかかる剪定や摘粒の仕事があって大粒のぶどうになります)

(こんなに大きく育っていますが、枝で熟すのを待つため、完熟まであと2-3週間かかるそうです)

(十分な大きさの袋かけをしているそうですが、はち切れていました)

(これも袋いっぱいに育っています。)

 

皮までパリっと食べられてジューシーで甘い大粒のシャインマスカットは田所食品さんのもう一つの看板になられ、緑色に輝く葡萄と一緒にきらきらだと思いました。

 

(大樹社長さんのお顔に光がさしてきらきらです。)

 

ずっと奥までシャインマスカットの畑が続いています。